こんにちは、オカモトです。
ラベル付けは便利だけれど、そのために
本当に知りたい、行動そのものや行動のクセ
-- あるいはもっと奥に隠されたもの --
を見逃してしまうことがあります。
ただ、普段の会話の中で追求するって
案外、「空気読まない」って言われそうで
追求しないこともあるし、自分自身も
ラベルを捨てきれないことも多いのでは
ないでしょうか?
コーチングの会話の中では、
クライアントが望むことを実現するため
に必要な部分であれば、一歩踏み込んで
いきます。今まで見逃していたこと
に気づき、共有し望むことの「実現」に
取り入れていきます。
例えば、
「Aさん、時間にいい加減だから、
今日も遅刻よ。」
よく遅刻する人を、時間にいい加減、と
ラベル付けしていますが、よく考えて
みると、遅刻という行動の頻度が多いという
ことを「時間にいい加減」と表現し
ラベル付けしているに過ぎません。
ラベル付けは、一言で何かを表しているよう
な気がして、そしてそれだけでもう
「わかった気」になります。そうすると、
今度は、ラベルの方が先に「動き」始めます。
この抽象的ラベルって私たちにとって
どれくらい役立つものなのでしょうか?
ラベルは、行動や性格の理由ではなく、
結果についていたり、頻度の比較的
多いことを、大きく解釈する傾向が
あります。
本当にあなたが、人にこうしろ!と
言われるからではなく、自ら変化を
もたらしたいもの、実行するものは、
この「ラベル」を見るべき?
それとも「身体行動」の方?
「遅刻」という行動を変えたいのか?
「遅刻」はどのように起こっている
のかを知るべきか?
あなたの行動が問題なのか?
それとも別に原因はあるのか?
「時間にいい加減」という
ラベルを変えたいのか?
そのラベルって、どんな意味があるの?
持っていて、嬉しいものなの?
「遅刻」&「時間にいい加減」という
例一つでも、様々な観点から見ることが
できますし、解決の選択肢に気づくこと
ができます。
相棒的存在のコーチは、「中身」を見つけ、
クライアントが必要なものを一緒に
引き出していきます。
そして、もし新しいラベルが役立つのなら、
その新しく、有用なラベルを見つける
こともクライアントと共に行っていきます。
ラベルと中身が解ることから、見つかる
クライアントの可能性。。。
相棒コーチにとても嬉しい発見です。
0 件のコメント:
コメントを投稿