上手くいかないとついつい、
誰かを、何かを、自分を
“責め”ちゃう
それで、スッキリしたり、
何か一歩進めたりするのならばまだしも、
“責め”ちゃったあとは、
なんだかきまりが悪い。
・・・おもわず“責め”てしまった
自分を“責め”ちゃう
とまぁ、“責め”るのに
あまりいいことはない。
…多くの場合後で“ブーメラン”を
喰らうのもこれだ。
しかし、この「“責め”たい」も
自分の“意図”を叶える行動だ
ということを考慮に入れたいのです。
そもそも
「だれか、何かを“責め”る」のは、
なぜか?
「自分は悪くない」
「自分の選択は間違っていない」
「自分の存在を否定されたくない」
“自分の存在/存在価値を維持したい”
という、存在(≒命)に関連することを
守るという意図がありそうなのです。
“責め”るのは、もちろん、
結果が望ましくなかったときですから
良いか悪いかでいえば、良くはないのです。
ですから、何かしらを変える
・・・過去の何かしらを否定する
ことになります。
しかしそれは、
自分の存在そのものを否定するのではなく、
過去の自分のやり方を必要以上に“守ろう”とする
頑なさと決別するだけで良いはずです。
頑なさと決別して自分を
新しい事を受け入れる寛容さを持った
さらに大きいモノとして肯定することなのです。
ですから、これまで
何かを、誰かを、自分を“責め”ていた
できごとというのは、実は、
自分の柔軟性を延ばして
“器を大きくする”タイミングだったのかもしれません。
これまでの頑なさは、
成長するまでの間のあなたを
守ってきた鎧だったはずです。
そのサイズが小さくなってしまった
“鎧”を守るために、周りを自分を
“責め”る代わりに、可能な出来事から
出来事と向き合って、“学びを得る”
という関わり方をしませんか?
どんな出来事、それが失敗と呼ばれる物であっても
あなたに必要な、あなたの糧となる
経験が内包されています。
それを“責め”るという振る舞いで
手放すのは惜しいと思いませんか?
…そのプロセスでも
コーチとの会話はお役に立てる
はずです。
また来週。
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