ひじま、まさきです。
言葉の“感じ”が気になる
僕としては
「“自信が持てない”んです。」
という表現にちょっとした
興味が湧くんです。
自分の
何を“疑”っているのだろうか
どこが“疑”わしいのだろうか
と。
上で言う
“自信が持てない”
というのは、“感覚…フィーリング”ですから
それがあること自体は
奇妙なことではありません。
普段
なんか“怪しい”、“疑わしい”
と感覚的に察知すること
あるでしょ?
ですから、
“自信がもてない”
というフィーリングは
…信じる事ができない
少しニュアンスをずらせば
自分の“何か/どこか”を疑っている
と言うことに
なりはしないだろうか。
ということ。
…個人的には、
「自信がない」いう感覚も
自分を疑うと同じレベルで
疑えると良いなとか思うんですけどね。
そもそも、
“自信”がある/ない
を意識するとき
その経験(あるいは上手くできた経験)が
無いか、少ない
事が多いはずです。
つまり、
自分が行動して得る結果について
誰かに“保証”できるかどうか分からない
というのを
もしかすると
“自信がない”…自分を疑ってる
と感じているのではないか
と思うんです。
その中には、
不慮の出来事や、アクシデントの
ことも、あたかも“自分の責任”くらいの
勢いで、織りこんでいたとしたら
…望む結果の保証など
どんな人にも出来るはずはありません。
どんなに周到に準備しても
想定外は起こるモノです。
…出かける前に
「忘れ物ないね?」
と確認しても
それが必要なって始めて
「あっ忘れた!」
と気づくのと同じように
思いがけないことは
大概、不意打ちです。
そのことにまず慣れましょうか。
そう、
あなたがあなたの今できうる限り
今気づきうる限りの準備
以上の事はできないのですから
そこまでの尽力に対して、
まずは自分で、お墨付き与えませんか?
上手く行けばそれはOK
そうで無ければ、次への成長点。
自分を疑う前に、自分の成長を信じること
そして、自分が一歩でも半歩でも
自分の望む姿に近づいていけることを
信じること…疑わないこと。
私達は、
自分に厳しくするがあまりに
自分で自分の成長の速度を
遅らせているかもしれなかった
ということに
気づいてみません?
すると、
ここからは“自分の成長”のために
自分の“出来うることを尽くす”ことに
まずは、信頼が置けるはずですから。
ではまた。
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