この連休はどうでしたか?
また、今日はどうでしたか?
こんな質問に、
「今日は何もしていない」
「休み中、何もしなかった」
そんなふうに思う事はありませんか?
もっと長い単位で「今週は/今月は何もしませんでした」
と答える方もいらっしゃいます。
一日何もしない・・・・ずっと横になって寝ていた、
という事でしょうか。
一週間、一か月、ずっと連続して一度も起きることなく横になっている
というのは物理的に不可能そうです。
それでも「横になる」「眠る」「体を休める」という行動はとっています。
私たちが「何もしなかった」と言う時、それは、どんな意味でしょうか。
例えば、午前中にこの企画書を仕上げようと思っていたのに、
電話やメールの応対、ちょっとした同僚とのやり取りなどで
全然手がつけられなかったー、という時、
「ああ午前中何もできなかったー」と思う事はあるでしょう。
もしかしたら、いろいろと考えてしまって、メールチェックだけではなく
インターネットでいろいろな記事を検索しているうちに
時間が過ぎていた、という事もあるかもしれません。
そう、その時の「何もしなかった」というのは
「企画書」に関する事をしていなかった、という事です。
他の事は、いろいろやっています。
メールや電話の応対はもちろん、
座って考える、悩む、いろんな情報を見る、気晴らしをする、
人と話す、これらも皆、「やった事」です。
その中には、必要な事、それほど必要でない事、
重要な事、それほど重要でない事
があるでしょうが、「何もしていない」・・・という事にはなりえません。
「休み中、何もしなかった」と言う時、
どんな状態を指しているのでしょう?
これは、時に、人によって正反対の状態だったりします。
ある人は休み中、家のちょっとした片付けや買い物、洗濯、
テレビを見たり、お昼寝をしたり、友達と電話で話したりしていて、
何か外にでかけてスポーツをしたり、映画を見たり、といった
事をしなかった、という事を指しています。
逆に、外に出ていろいろやっていた事で、
ずっと気になっていたエアコンの掃除や他の家事に
手をつけなかった時に「何もしなかった」と言う方もいらっしゃいます。
前者の方は、「休みは外に出て活動して有意義に過ごさないといけない。
それをしなかったら何もしなかったのと同じ事」
と思っているかもしれませんし、
後者の方は、ご自分が気になっている事をしなかった事で
「何もしなかった」という気持ちになっているかもしれません。
私達は、何か自分の中で「これをこの時間はしないといけない」
「やっておかないと」と思う事をしなかった時に、
他の事をしていても、「何もしなかった」と思うようです。
正確には、
「●●に関しては何もしなかった。そして、○○をした。」
という事なのですが、
「●●に関しては」と、「○○をした」が抜けているのです。
代わりにやった○○の中には重要な事・必要不可欠な事が
あったとしても、
自分の中では、ほとんどなかったことになってしまいます。
また、その●●に関する事をちゃんとやっているにもかかわらず、
自分の中で、ここまではやり終わるべき
というラインに達していない時にも「何もしなかった」と感じます。
例えば、
他の事をいろいろやっていて、
企画書仕上げるところまでは
行かなかったけれども、ファイルを開いて、
これまでのものを見直して、一部修正はした、という場合も、
「何もしなかった」と思ったりします。
「何もしなかった」「何もできなかった」と言う時、どんな気持ちになりますか?
・・・うっすらとした無力感・・・罪悪感・・・自己評価が下がっていく感じ・・・
知らず知らずのうちに、心のエネルギーが奪われています。
何をどこまでしたのか、という客観的な事実認識も
しにくいため、的確な計画を立てるのも難しくなります。
ではなぜ、私たちは、実際はいろいろな行動をしているのに/
ちゃんと、やろうと思っていた事に手をつけているのに、
「何もしなかった」という気持ちになるのでしょうか?
その裏には
全てか/無か
白か/黒か
という「物の見方のくせ」があります。
これは時と場合、人によっても違いますが、
結構根深く(笑)、自分では気が付かないうちに、
いろいろなところに影響が出ています。
コーチングで、様々な質問をされる事で、
自分が「何もしていない」事にしていた時の記憶をとりもどし、
心のエネルギーを取り戻したり、
無駄に低くなりすぎている自己評価を上げたりすることができます。
少しずつ、自分の物の味方のくせに気づくことで、
エネルギーの無駄遣いを減らして、前に進むエネルギーが
自然に増えていったりもします。
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