何かに没頭しているとき
自分が“自分らしい”かどうかは
気にしていません。
・・・前回お伝えしたように
“自分らしい”と決めているのは
なんだかんだいって
自分の“ものさし”
自分が“自分らしい”と思えれば
それは“自分らしい”し
自分が“自分らしい”と思えなければ
“自分らしくない”。
受験を始めとした
“試験”を経験した者にとって
“正解”・・・という基準は
あるととても楽だったりします。
ついつい、探しに行ってしまう。
そもそも
“自分”の一挙手一投足は
“自分”がしているのですから
どのふるまいも“自分らしくない”
はずはないのです。
敢えて言語化するならば
“自分のありたい姿”ではない
でしかないのです。
だとしたら、
公言しちゃえば良いじゃないですか
「“自分”はこうありたい」
「“自分”はこういう存在で生きたい」
と。
そうすると、
“今の自分”から成長や変化をすればいい
という風に
気持ちを割り切ることができます。
“今”と“将来の希望”を
探求することを
“自分らしい”を探すー自分探し
という表現にしちゃったので
正解のない問題を解く迷宮に
入り込んでしまっていたのではありませんか?
自分はいつでも自分なんです。
ただ、自分が
“こうなりたい”
“こうありたい”
という成長や変化への欲求に
気づけたら
その“ありたい”、“なりたい”姿を
心置きなく描いて
設計しましょうよ。
あなたも私も
今ここから、その姿に向かって
成長すれば良いだけ・・・ですから。
コーチは、その成長、変化の
伴走者を承ります。
では。
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